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ニホンシログ

日本史をざっくりと面白く。たまに1980年代ネタも。

【飴ちゃん】大阪のおばちゃんのパワーの起源は江戸時代にあった

近世 近世-江戸

ミナミ

大阪のおばちゃんといえば、ところかまわずうるさい、服装が派手、人見知りしない、がめつい、おせっかい、といったイメージがあります。
この『大阪のおばちゃん』という人種は、いつ誕生したのか?
ヒントは江戸時代にありました。

 

『公』を気にしない大阪のおばちゃん

『公』というのは、公園、公共交通機関、公人、といった言葉からわかるように、自分一人のものではない、『私』の対義語です。
これらは自分だけのモノではないので、常に周りの目を意識しないといけませんよね。
しかし、大阪のおばちゃんというのはこの『公』の意識が低いようで、例えば電車内でも我が家にいるかのような声の大きさで喋ります。
「家で家族と話していると勘違いしてるんちゃうか?」というくらい他人に話しかけます。

大阪のおばちゃん
飴ちゃん、いるぅ?

また、建前というのは、対外的(『公』)な要素を含んでいますが、大阪のおばちゃんは建前ではなく本音で喋る傾向があります。

なぜ、大阪のおばちゃんは『公』の意識が低いのでしょう?

武士が極端に少なかった大坂

江戸時代、大坂(旧名)は商人の町と言われ、町人に比べて武士の数がかなり少なかったのという事はご存知の人も多いと思います。
諸説ありますが、江戸時代の大坂の人口は約40万人、それに対して武士の数は約8000人、わずか2%の比率です。
普段生活しているなかで武士に会う事はほとんどなかったでしょう。

一方、江戸は武士の町と言われていました。
参勤交代で各藩の武士が単身赴任状態で住んでいる事もあり、江戸の人口100万人に対し、(これも諸説ありますが)その半分の50万人が武士でした。

武士を今の職業にあてはめると、役所職員兼警察官兼自衛官といったところでしょうか。
警察官が近くにいるとなぜだか普段よりおとなしく、マナーよくなってしまいますが、当時の町人にとって武士というのはそういう存在だったのです。
町人にとって武士の目というのは『公』で、自分勝手に振る舞う事ができなかったのです。

武士に会う事がほとんどない大坂、町を歩けば武士と会う江戸では、人々の振る舞いが違っていた事がわかりますよね。

このように大阪人の人目を気にしない性質は、江戸時代の町の様子が育んでいったのでしょう。

大阪のおっちゃんもたいがいですが、おばちゃんに比べ通勤で電車という『公』の場、1日の大半を会社という『公』の場で過ごすためか、おばちゃんに比べて若干おとなしい感があります。
おばちゃん世代の女性は専業主婦が多く、『公』の場で過ごすことが少ないので、先祖代々引き継いだ大阪のおばちゃんのDNAが色あせないのでしょう。

 

派手なファッション

江戸時代、大坂の人は江戸の女性に対してこう言っていました。

だるま
江戸の女はおしろいが薄い!

ここに、大阪のおばちゃんが派手好きなヒントがあります。
江戸時代の女性の化粧は、おしろいをベッタリと顔が真っ白になるくらい塗るのは普通でした。
そのため、着物はおしろいで真っ白になった顔に負けないくらい、派手な着物が好まれました。
ある時期まで、大坂も江戸も同じようなファッションだったのですが、1830年代、『天保の改革』が実行されます。

水野忠邦
これからは質素倹約だ!

これによって、女性はおしろいを薄くぬり、質素な色合いの着物を着なければならなくなりました。
将軍がいて武士の多い江戸では女性の身なりは質素になりましたが、大坂はもともと武士が少ない事もあり、「天保の改革?それががどうしてん!」と、以前と変わらずおしろいをベッタリと塗り、派手な着物を着続けていたのです。
これが、今の大阪のおばちゃんの、強烈なファッションに引き継がれているのかもしれません。

 

モノに対しては丁寧

大阪のおばちゃんはタメ口です。
初対面でもタメ口です。
でも、人間以外に対しては最上級の敬意をもっています。

なぜか?
大阪のおばちゃんは『お』『さん』を付けます。
芋は「おいもさん」
豆は「お豆さん」
油揚げは「おあげさん」
お粥は「おかいさん」
寺は「お寺さん」
神社は「お宮さん」

『お○○』という言葉は、元々は京都の御所言葉(宮中で使っていた言葉)だったのですが(『おなら』も御所言葉からきています)、大阪のおばちゃんはモノに対して『お○○さん』と敬語の最上級を使っています。
逆に、当の本人は『お母さん』とは呼ばれず『おかん』と呼ばれていますが。

大阪のおばちゃんのパワーは、先祖代々引き継がれてきたDNAに刷り込まれているのだ、と思うととてもじゃないけど太刀打ちできませんね~。