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【負け組?】『県庁所在地』の名前が『県名』と一緒じゃない県

日本地図

47都道府県をみてみると県庁所在地の名前が県名と一緒だったり違っていたりしますよね。
例えば『大阪府大阪市』と『兵庫県神戸市』というように。
何か理由でもあるのでしょうか?

戊辰戦争で幕府側についた事への報復措置?

よく言われるのが『戊辰戦争』で幕府側についた藩に対する報復措置です。
『戊辰戦争』とは、徳川幕府軍と新政府軍(後の明治政府)が戦った内戦ですが、勝利した新政府側が敵側についた藩はけしからん!(後世の国民にもわかるように)差別化する!」ということでこのようになった、というものです。

例えば、以下のように内戦に勝利した新政府側は『廃藩置県』で新しく作られた県名と県庁所在地が同名ですが、敗北した幕府側は異なっています。

官軍:新政府側

薩摩藩:鹿児島県/鹿児島市
長州藩:山口県/山口市
土佐藩:高知県/高知市
肥前佐賀藩:佐賀県/佐賀市
備前岡山藩:岡山県/岡山市
芸州広島藩:広島県/広島市

賊軍:幕府側

水戸藩:茨城県/水戸市
桑名藩:三重県/津市
仙台藩:宮城県/仙台市
松山藩:愛媛県/松山市
高松藩:香川県/高松市
盛岡藩:岩手県/盛岡市

報復措置で県庁所在地を決めたというのは誤り

ここで、少し日本史に詳しい人ならえ、ちょっと待てよ?」と思うでしょう。
例えば、賊軍最大の藩会津藩。
後の福島県ですが、県庁所在地は福島市で県名と同名です。

そもそも廃藩置県直後は300以上の県があり、賊軍の松山藩は『松山県』という名称に変わり、県庁は松山城のある松山(市)にありました。
この時点で、賊軍でありながら県庁所在地と同名ですよね。
(その後、『石鉄県』→『愛媛県』と名称が変更されます。)

では、県庁所在地名と県名が違う理由とは何なんでしょうか?

新政府は財政難

内戦に勝利した新政府は『徳川幕府』から政権を引き継ぎましたが、とにかくお金がない。
理由は、まず『戊辰戦争』の戦費、そして、最大の原因は『家禄』です。
『家禄』というのは、主君が士族に平和な時は何もしなくてもいいけど、戦争になれば命かけて働けよ」と、いざという時のために世襲で与える給与です。
つまり、平和な時は不労所得ですね。
そんなこんなでお金のない新政府は、県庁を新たに建設する余裕はありません。
「維持費がかかる」という事で、あちこちの城が取り壊されたくらいなんですから(後世からすると非常にもったいないです)。

つまり、県庁所在地の最大の条件は、県庁として使える建築物があるかどうか、でした。
その為、旧城下町が県庁所在地になったケースが多いのです。
『戊辰戦争』の報復措置ではなかった、というのが本当のところです。

 

こんな県名があった

1871年(明治4年)7月14日に実行された『廃藩置県』はその名のとおり、各藩主が支配していた藩を廃止し、東京にある政府が全て治めるために藩を県に置き換えた処置です。
『廃藩置県』直後は、なんと3府302県もあったのです。
もし、このまま現在まで続いていたら高校野球大会なんて大変だったでしょう。

さすがに当時の役人も思ったのでしょう、県、多すぎるなぁ」と。
そこで、同年10月から11月にかけて『第1次府県統合』が実行され、3府72県に減りました。
今よりも府県の数が25も多かった時代、こんな県名がありました。

名古屋県

今の愛知県ですが、ゆとり世代は名古屋県って言いそうです。

金沢県

今の石川県。金沢県のままのほうがブランドイメージありそうですよね。

四国

当時は以下5つの県で構成されており、四国ではなく『五国』でした。

名東県(みょうどうけん)
香川県
松山県
宇和島県
高知県
名東県は淡路島も管轄下においていましたが、後に兵庫県に組み込まれました。

実は一度消滅していたあの県

さらに統廃合が進み、 1881年(明治14年)には今よりも少ない3府34県になります。
その中には、当初あった県が消滅して、また復活して現在に至るケースも。

富山県

富山県として発足→新川県(にいかわけん)に改称→石川県に編入→分県の嘆願書を国に提出→石川県から分割され、再度富山県へ。

福井県

福井県として発足→前身の福井藩が親藩だったので福井の名称を嫌い足羽県(あすわけん)に→再度改称し福井県へ

奈良県

奈良県として発足→堺県に編入→堺県の大阪府編入により『大阪府大和地域』に→大阪府から分割され、再度奈良県へ。

鳥取県

鳥取県として発足→島根県に編入→島根県から分割され、再度鳥取県へ

徳島県

徳島県として発足→名東県(みょうどうけん)へ改称→一部分割されて高知県へ編入→分離独立し、再度徳島県へ

香川県

香川県として発足→名東県に編入→分離して、再度香川県へ→愛媛県に編入→住民運動の末分離独立し、またまた香川県へ。

佐賀県

佐賀県として発足→伊万里県へ改称→『佐賀の乱』の処分で各地域が周辺の県へ編入→長崎県に編入されていた地域が分離独立し、再度佐賀県へ。

宮崎県

宮崎県発足→鹿児島県に編入→分県運動の結果、鹿児島県から分離独立し、再度宮崎県へ。

今では普通に存在する県が一旦消滅していたのはビックリですね。