日本の道路は原則左側通行ですが、世界的にみると多くの国は右側通行となっています。
日本の左側通行はいつから始まったのでしょうか?
なぜ左側通行が定着したのでしょうか?
大半の国は元々左側通行だった
世界の人口の9割は右利きと言われています。
人間、何かあった時にとっさに利き手を動かし、利き手じゃない方にはスペースを作りたくないものです。
(電車では左側が端になる座席から埋まる傾向にありますよね。)
つまり、右利きには左側通行が自然で、事実、世界的にも左側通行が多かったのです。
中世の時代、盗賊などから身を守るために一般市民も剣を携えており、とっさに剣を操る事のできる右手を道路側に、動作の遅い左手側にスペースを作らないように左側を通行していました。
日本では、武士の左腰に差した刀の鞘(さや)が右側通行だとお互いにぶつかってしまってケンカの元になる、という事で左側通行となっていたようです。
多くの国が右側通行にチェンジ
右側通行になった理由の一つとして馬車の普及があげられます。
馬車自体は紀元前から使用されていましたが、17世紀に入ると乗合馬車が現れます。
今でいうバスみたいなもので、便利で安価という事で大変好評でした。
馬車の往来が増え、馬車同士がすれ違った際に御者がふるったムチ同士がぶつかる事を防ぐため、自然と右側通行になっていきました。
ナポレオンが右側通行をルール化
出典:Why Does Japan Drive on the Left Side of the Road?
この地図の赤塗りの国は右側通行、青塗りの国は左側通行です。
青塗りの国を見てみると、イギリスの他に、インド、ケニア、オーストラリア・・・、かつてイギリスに支配されていた国々なのです。
フランスの英雄ナポレオンは、1794年にこのようなルールを定めます。
下記はフランスが支配した地域ですが、赤塗りの部分と一致している国が多い事がわかると思います。
逆にフランスと対立していたイギリスとその植民地は、ナポレオンに対抗して左側通行を維持していました。
日本の場合
日本は武士の刀の鞘がお互いにぶつからないように左側通行になった、と書きましたが、江戸時代初期(徳川綱吉の時代)に日本にやってきたドイツ人医師のケンペルは、自身の著書にこのように書きました。
このように、暗黙のルールとして左側通行が浸透していたのです。
正式に左側通行がルールとして定められる
明治維新後、政府は鉄道の敷設に着手します。
もちろん、日本人に鉄道を作るノウハウはありませんから、既に鉄道を運用してる国の鉄道システムの導入を計画、最終的にイギリスのシステムを導入する事になりました。
イギリスのシステムなので、鉄道も左側通行です。
(現在も、右側通行の国は鉄道も右側通行がほとんどです。)
こうして、長年にわたって左側を通行してきた日本人ですが、1924年(大正13年)に左側通行が正式に法律で定められました。
道路交通法では歩行者は右側通行?
子供の頃、歩行者は右側通行と習った方も多いと思います。
確かに道路交通法にはそのように記載されています。
しかし、この法律の内容をよく読んで下さい。
対面交通の原則(第10条第1項)
歩道または路側帯(以下「歩道等」)と車道の区別の無い道路においては、道路の右側端に寄って通行しなければならない。路側帯の幅員が歩行者の通行に十分でない場合(幅が著しく狭いために路側帯をはみ出さなければ通行不可能な場合など)も同様である。
『歩道または路側帯と車道の区別の無い道路においては、道路の右側端に寄って通行しなければならない。』と記載されています。
つまり、歩道を歩く場合は右側通行でなくてもよいのです。
では、どちら側を歩いても問題ない?
歩道の場合、法律的にはどちら側を歩いても問題ありません。
ただし、マナーの問題はあります。
周りの大多数の人達が左側を通行しているにも関わらず、自分勝手に右側を歩くと交通の妨げになるのは火を見るよりも明らかです。
繁華街やビジネス街の歩道を歩けばわかると思いますが、日本の歩道では左側通行が浸透しています。
また、駅構内は左側通行するように掲示されていたり、商店街、歩行者天国も左側通行となっています。
たまに、道交法の解釈を誤ったのか、歩道でもかたくなに右側を通行する人がいますが、円滑な通行をするためにも左側を歩いてほしいものですね。