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【謎】写真を1枚も残さなかった西郷隆盛の本当の顔

西郷隆盛の絵葉書

幕末の偉人の中でも人気上位に入る西郷隆盛。
明治維新最大の功労者であり、現在はむろん、当時の人からもスーパースターのように崇められていたにも関わらず、西郷隆盛の顔を撮影した写真は1枚も見つかっていません。
世に残っているのは肖像画と銅像だけですが、これらは本当の西郷隆盛の顔なのでしょうか?

西郷隆盛の外見

イギリスの駐日公使であり、西郷と何度も会っていたアーネスト・サトウは日記にこのような事を書いています。

アーネスト・サトウ
黒ダイヤのように光る大きな目玉をしていて、しゃべる時の微笑には何とも言い知れぬ親しみがあった。

この、大きな目というのが相当印象深いのか、多くの肖像画や銅像でも再現されています。
また、身長は180cm強、体重は110kg強あり、当時の日本人男性の平均身長(155cm)から比べるとかなりの大男でした。

西郷隆盛の肖像画と銅像

キヨッソーネ作の西郷隆盛1キヨッソーネ作の西郷隆盛2

おそらく西郷隆盛の顔、と聞いて思い浮かべる人が多い肖像画がこれでしょう。
イタリアの画家のエドアルド・キヨッソーネが作り上げたのですが、彼自身西郷と一度も会った事がありません。
顔の上半分は西郷の弟の西郷従道、下半分はいとこの大山巌の顔をモデルに作り上げたのです。
西郷従道大山巌

「なんだ、西郷に実際に会った事ないし、モンタージュしただけか。なら実物とは似てないな。」
という意見が多勢をしめていますが、キヨッソーネは西郷とゆかりの深い人からのアドバイスを参考に作成しており、西郷の遺族や親族が「この肖像画こそ翁(隆盛)そのもの」と確認し、夫人の糸子に贈呈されたのがこの肖像画なのです。
では、その他の西郷も見てみましょう。

 

近世名士写真の西郷隆盛の肖像画
こちらの肖像画も有名ですね。
国立国会図書館近代日本人の肖像に掲載されている肖像画で、元々は1935年(昭和10年)に出版された『近世名士写真』という本に掲載されていた肖像画です。
さらにさかのぼると、1927年(昭和2年)に作成された『西郷南洲先生五十年祭記念遺墨写』が元になっており、西郷の婚外子である西郷菊次郎の息子隆治をモデルにしています。

 

床次正精作の西郷隆盛1床次正精作の西郷隆盛2

西郷と同じ薩摩藩士出身の画家、床次正精(とこなみまさよし)の作品です。
床次は西郷と面識があったという事で、彼の描いた西郷は実物によく似ている、と言われています。

 

肥後直熊作の西郷隆盛

西郷家の隣に住んでいた画家の肥後直熊の作品です。
幼少の頃、西郷に「直坊」と呼ばれて可愛がられ、西郷の膝の上で遊んでもらっていたほど西郷と実際に触れ合っていた人だけに、実物と似ている、と評価されている作品です。

 

平野五岳作の西郷隆盛

作者は平野五岳(ごがく)。
1876年(明治9年)に西郷に「蜂起しないように」と面会した際に描いたもの、と言われています。
この4ヶ月後に、西郷は蜂起して『西南戦争』が始まります。

 

上野公園の西郷銅像1上野公園の西郷銅像2

「上野の西郷さん」こと東京の上野公園にある西郷銅像。
1898年(明治31年)の序幕式の際、夫人の糸子が言った言葉が誤解を生みます。

西郷糸子
うちの主人はこんなお人じゃなかったですよ。

この発言が「上野公園の銅像は西郷本人に似ていない」という根拠ととる人が多いですが、夫人は「主人は礼儀をわきまえる人で、人前に出る時はこんな浴衣姿ではなくきちんと正装をしていた」という意味で発言していたようです。

 

痩せている西郷隆盛

1877年(明治10年)、西郷は蜂起し『西南戦争』が勃発します。
フランスの新聞社『ル・モンド』は速報記事を出し、そこに西郷軍の様子を絵にしています。

ル・モンド

中央で座っているのが西郷隆盛ですが、今まで紹介したものに比べてずいぶんと痩せていますが、これには理由があるのです。

1873年(明治6年)、西郷の肥満っぷりを心配した明治天皇はドイツ人の医師ホフマンの診療を受けさせます(明治天皇は西郷の事が大好きでした)。
その結果、1日に5回も下剤を服用する過酷なダイエットを決行、数か月後には慢性的に痛みがあった身体も良くなったようです。
このように過酷なダイエットが影響して激ヤセしていた事が考えられます。

生涯写真を1枚も残さなかった

西郷隆盛は写真を1枚も残さなかった、と言われています。
その理由はいくつか言われています。

写真嫌い

明治天皇が西郷に肖像写真の提出も求めるも、結局は写真撮影がイヤで提出されずじまいだった、という説がありますが、単純に写真がイヤだから、というだけで拒否できたのでしょうか?

暗殺を恐れた

実際、幕末に何度か暗殺計画にあがっていた西郷ですが、同じような状況下にあった盟友や側近、部下は写真を撮影しています。
西郷ほどの英傑が「暗殺が怖いから」と撮影を拒否したのでしょうか?

周囲の者が撮影させなかった

『西南戦争』が勃発した理由の一つに、明治政府による西郷暗殺計画があります。
周囲の者が身を案じて西郷に写真を撮らせなかった、もしくは、写真はあったが処分したのではないでしょうか?

まとめ

いくつかの西郷隆盛の肖像画を見ると、どれも特徴は似ていると思いませんか?
最初に紹介したキヨッソーネ作の肖像画も、実際に西郷に会った事のある人からは否定されていませんし、上野の西郷銅像も「西郷の若いころに似ている」と言われています。
世に出ている肖像画や銅像は実際の西郷隆盛のイメージに近い、と考えてもいいと思います。
しかし、これほどの大人物の写真がなぜ1枚も残っていないのでしょうか?

明治天皇に提出されずじまいだった、のではなく、提出済ですがが宮内庁に厳重に保管されていないでしょうか?
どこかの神社に奉納されていないでしょうか?

一度でいいから肖像写真を見てみたいものです。