江戸時代の女性は結婚するとお歯黒、子供を産むと眉を剃り落とす・・・現在とはずいぶんと美的感覚が違いました。
想像するとちょっと怖い顔ですね。
当時の外国人も気持ち悪いと思ったようで、1870年(明治3年)にお歯黒、眉剃りが禁止され、以降に撮影された写真は現代人と変わらない美人が写し出されています。
楢崎龍(ならさきりょう)
みなさんご存知坂本龍馬の奥様です。
お龍(おりょう)の名で有名ですね。
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薩摩藩の中村半次郎に寝床を襲われた、『新撰組』局長の近藤勇が恋い慕い、贈り物をした、というモテエピソードがあります。
龍馬の死後、坂本家を頼るも折り合いが悪く数ヶ月で立ち去り、その後は各地を転々、貧乏長屋で暮らし、アルコール依存症になりました。
1906年(明治39年)1月15日没。享年66。
ちなみにこの写真は、昔から「本当にお龍の写真?」と議論になっていましたが、一応警察庁科学警察研究所の鑑定結果は本人です。
この記事で後に紹介する「江良加代(えらかよ)では?」という意見や、「別資料で芸者として写っているのでお龍ではなく別人でしょ?」という意見もあり、現在ではお龍の写真ではない可能性が高くなっているようです。
木戸松子(きどまつこ)
『維新三傑』と言われた桂小五郎(木戸孝允)の奥さんです。
京都三本木の芸妓、幾松(いくまつ)として有名でした。
桂はどうしても幾松を手に入れたかったのですが、同じく幾松を気に入っていた京都山科の豪家が一歩も引かないので苦戦していたので、弟分の伊藤博文に相談します。
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めでたく付き合うことになり、明治初めに正式に夫婦になりました。
1886年(明治19年)4月10日病没。享年44。
江良加代(えらかよ)
京都の芸妓で公家の西園寺公望(さいおんじきんもち)に見初められるも、西園寺家の事情で破局します。
その後、桂小五郎(木戸孝允)と付き合い結婚寸前までいきますが、1877年(明治10年)に桂が死去したことで関係は消滅します。
ん?交際期間が木戸松子とかぶっているぞ?
その後、伊藤博文がたいそう入れ込みます。
世間の人はこう言いました。
が、お加代は伊藤に振り向く事なく、最終的に豪商の妾となり余生を過ごしました。
没年不詳。
陸奥亮子(むつりょうこ)
坂本龍馬と同じ海援隊士、陸奥宗光(むねみつ)の奥様です。
東京新橋で一、二を争う美貌の芸妓と言われ、後に『鹿鳴館の華』『ワシントン社交界の華』などと言われたほど。
この写真からもわかるように、現代の感覚でも美人だった事がわかるかと思います。
夫の死後、夫と他の女性(祇園芸者)との間に産まれた子を引き取って育てました。
1900年(明治33年)8月15日没。享年43。
楠本高子(くすもとたかこ)
祖父は幕末の鎖国時代に長崎の出島で医師として活躍したシーボルト、母親は日本人女性初の産科医である楠本イネです。
漫画家の松本零士は、明治時代の美人写真集に載っていた楠本高子の写真をモデルにして、『銀河鉄道999』のメーテル、『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャを描きました。
(金髪でイメージが違うように思いますけど、モデルにしたようです。)
1938年(昭和13年)7月18日没。享年86。