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【伝説】昭和を代表するJ-ROCKバンド『BOØWY』の軌跡とオススメ楽曲

BOØWY

今回は日本の音楽史という切り口で、40代の人ならリアルタイムで、30代の人ならお兄さん、お姉さん、先輩の影響で聴いた人も多い『BOØWY』をとり上げます。
デビューから僅か5年、人気絶頂期での解散は衝撃でした。
という事で、『BOØWY』ファン暦20年以上の私が、『BOØWY』の歴史とオススメ曲をレビューします。

『BOØWY』のCD総売上げ枚数

まずは、『BOØWY』がどれほどの売上げだったのかみてみましょう。
歴代CDシングル・アルバム総売上ランキング TOP100(2015年11月時点)を見ると、『BOØWY』は100位以内にランクインしていません、圏外です。
ただ、圏外なのは『BOØWY』が解散したのは1987年(昭和62年)12月24日、CDが爆発的に売れたのは1990年代以降である、という事があげられます。
また、メンバーの2人がソロになってからの売上げが、氷室京介は1624万枚で38位、布袋寅泰は1269万枚で67位、2人の売上げを合算すると2893万枚で『嵐』と『globe』の間に食い込んでくる売上げをたたき出している事は見逃せません。

軌跡 & 楽曲レビュー

では、氷室と布袋、というソングライティング能力の高い二人が、どのように『BOØWY』を結成し、そして、解散したのか、各アルバムから個人的なオススメ曲を紹介しながら辿っていきましょう。

注意点

『BOØWY』が曲をリリースしたのは1982年~87年。
今と比べると音に厚みがなく物足りなく聴こえ、特に黎明期の82年、83年リリースのアルバムは、録音設備がちゃちかったので、ドラム音は『ポコポコ』、ギター音は『ピロピロ』で正直聴けたものじゃありません。
だけど、良曲が多く、特にライブでは別物かと思うくらい映えるんです。
ということで「これから紹介する曲は全てライブバージョンで聴いてね」ということを頭に入れておいて下さい。

1979年(昭和54年)

氷室は地元の群馬県高崎市で友人達と結成したバンド『デスペナルティ』のボーカルとして、アマチュアバンドコンテスト『EAST WEST'79 関東甲信越大会』で、後に『BOØWY』のギタリストとなる布袋寅泰率いる『BLUE FILM』と決勝を争い、『デスペナルティ』が勝利。
この関東甲信越大会で、後の初期『BOØWY』メンバー6人中5人 + マネージャーが顔をあわせていました。

  デスペナルティ BLUE FILM
ボーカル 氷室京介(後に『BOØWY』のボーカル) 土屋浩(後に『BOØWY』のマネージャー)
ギター 諸星アツシ(後に『BOØWY』のギター) 布袋寅泰(後に『BOØWY』のギター)
ベース 松井常松(後に『BOØWY』のベース) 上田誠
ドラム 福田アキラ
サックス   深沢和明(後に『BOØWY』のサックス)

中野サンプラザで開催された全国大会に進んだ『デスペナルティ』は、見事入賞を果たします。

『EAST WEST'79 ライブレコード』
出典:http://boowyblog.blog35.fc2.com

これは、決勝大会の模様を収めた『EAST WEST'79 ライブレコード』のジャケットの拡大写真で、左から時計回りに、赤いシャツを着た氷室京介、諸星アツシ、松井常松、福田アキラ。

『デスペナルティ』は音楽事務所『ビーイング』と契約するも、事務所の意向で解散させられます。

1980年(昭和55年)

氷室は、アトラス寺西名義で『鉄腕アトム』第2作のテーマソング『裏返しの友情』をリリース。

また、氷室は寺西修一(てらにししゅういち)名義で、バンド『スピニッヂ・パワー』にコーラスとして参加。
※氷室京介の本名は寺西修(てらにしおさむ)。

1980年(昭和55年)9月21日にリリースされた三原順子(現・参議院議員三原じゅん子)のデビューシングル『セクシー・ナイト』にコーラスとして参加。
同年9月5日にリリースされた『スピニッヂ・パワー』7枚目のシングル『HOT SUMMER RAIN』ではメインボーカルを務め、TV出演を果たします。

しかし、『スピニッヂ・パワー』ではやりたい音楽ができなかった氷室はバンドを脱退。

7月5日、帰郷を考えていた氷室は、東京での最後の思い出のつもりで観た『RCサクセション』のライブに感動、俄然やる気になり、新たなバンド結成を決意します。
真っ先に一緒に演るメンバーとして脳裏に浮かんだのは、ライバルバンド『BLUE FILM』のギタリストだった布袋寅泰。
氷室は地元では暴走族の総長をやっており、街中で座っていれば「危ないから遠回りしよう」と避けられた存在。
一方、布袋は長髪でギターを担いで歩く洋楽好きのお坊ちゃま。
対バン以外では接点のなかった2人ですが、氷室は布袋の電話番号をわざわざ調べて電話。

氷室京介
布袋君?ちょっと六本木の『アマンド(喫茶店)』まで来てくれない?
布袋寅泰
(なんで電話かかってくるの?殴られるんじゃないかな・・・)あ、ハイ、わかりました・・・。

恐る恐るアマンド前に行くと、リーゼントで硬派だった氷室が髪を染め、化粧をして立っていました。

布袋寅泰
(夜の商売してるのかな?)
氷室京介
俺、今こういう音楽聴いてんだけど・・・、一緒にバンド演らないか?

元『デスペナルティ』『BLUE FILM』のメンバーが参加し、新たなバンドを結成します。

当初、ベーシストとして松井恒松(常松)を誘おうとするも、すでに『織田哲郎 & 9th IMAGE』のベーシストとして活動していたため『暴威』に参加できず。
そのため、後にサックスを担当する深沢和明が当初ベースを担当

ほんとは松井さんをベースで誘いたかったんですけど、松井さんは織田哲郎さんのバックだったんで、松井は駄目だということで、私が最初入った時、ベースで入ったんですよ。練習しましたよ。

出典:高橋まこと(深沢和明参加) VS BOØWY 60×60 渋谷チャリティーLIVE 2DAYS レポート(1ST DAY)|- WE ARE BOOWY -

その後、『織田哲郎 & 9th IMAGE』が僅か1年で解散。
9月、松井は『暴威』のベーシストとして参加します。

メンバー間で不和が生じたりしても、そういうの、どうにもできないんです。(中略)その頃同じ事務所にいた氷室京介君がバンド(のちのBOØWY)を立ち上げようとしていたんで、もともと氷室君と一緒に上京してきた松井常松には一緒にやったら、と。

出典:織田哲郎ロングインタビュー第9回|織田哲郎Project2007

1981年(昭和56年)

バンド名を決めるにあたり、事務所社長が「『横浜銀蝿』にならって『群馬暴威』という名前にしよう」と提案するも、メンバーが猛反対、何とか『暴威』に落ち着きます。
ドラムがいなかったため、『スピニッヂ・パワー』の木村マモルがサポートメンバーとして参加。

ボーカル 氷室狂介 元『スピニッヂ・パワー』ボーカル
ギター 布袋寅泰 一般人
ギター 諸星アツシ 一般人
ベース 松井恒松 元『織田哲郎 & 9th IMAGE』ベース
サックス 深沢和明 一般人
ドラム 木村マモル 元『スピニッヂ・パワー』ドラム

5月11日、デビューライブ『暴威LOFT FIRST LIVE』開催。
観客は13人(男性9人、女性4人)で、その中にいた高橋まことが後日オーディションを受けて、正式にドラムとして加入(木村マモルは脱退)。

ギターの諸星アツシはドラマ『茜さんのお弁当』に出演。

※45:30に金色のジャケットを着て登場するのが諸星アツシ 。

『茜さんのお弁当』 1981年=TBS 「最終回 ヨ・ロ・シ・ク!」 ~OP横書き表示~

八千草 薫(西木 茜)
川谷拓三(石塚順次郎)
草笛光子(米持 静)

MIE(宮間京子)
古尾谷雅人(土門 渉)
所 ジョージ(宮間六郎)、石原真理子(夕子)
柄沢次郎(立川信夫)、曽我泰久(平井 俊)
嶋 大輔(石倉公一)、杉本哲太(小林 実)
矢崎 滋(山田重一)、福崎和宏(北村米夫)
渡辺 麗(ユミ)、諸星アツシ(中井高夫)
出典:クレジットの序列・懐かしドラマ版その5 | ログ速@2ちゃんねる(net)

1982年(昭和57年)

バンド名を『BOØWY』へ変更し、3月21日にファーストアルバム『MORAL』をリリース。

MORAL(1982年)

氷室と布袋がアパートにこもってひたすら曲作りをした時に生まれた曲たち。
レコーディングはほとんどの曲が一発録り。
『暴威』時代の名残りがあるパンク色の強いアルバム。
氷室は変にパンクっぽく歌おうとしており、布袋のギターも控えめ。

IMAGE DOWN

歌い出し「かっこがいいよお前はいつでも 心も体もバラ売りしてさ」

作成された当初は、「マワしマワされまるで風車」と歌ういう発禁レベルの歌詞だったため2回程作詞しなおし、最終的に「あきれちまうぜまるきりタイフーン」という歌詞に変更してボヤかしています。
ライブでは必ずといっていいほど演奏された定番中の定番曲。

NO.NEW YORK

歌い出し「シャワーを浴びて WOW WOW WOW コロンをたたき」

出だしが特徴的で、『BOØWY』を知らなくてもこの曲は知っている、という人もいるのではないでしょうか。
ギター、ベース、ドラム全てが簡単な曲なので、バンドの入門曲にピッタリです。
この曲も解散まで常にライブで演奏されていて、最後のライブ『LAST GIGS』の最後に演奏された曲、ちなみに資生堂のCMソングでした。

ON MY BEAT

歌い出しやる気がないだけでサ バカげたふりもしたくない

サビのB・B・B・B ON MY BEATのメロディが頭に残るパンキッシュな曲。
『コブクロ』がアルバム『ALL COVERS BEST』でカバーしています。

9月9日、楽曲を黒づくめのファッションから繰り出されるパンク系から、カラフルなファッションで繰り出すメロディアスな楽曲に大胆に変更した『CHANGE COSTUME』と題したライブを開催。
パンキッシュな『BOØWY』を期待しているファンは離れていきましたが、結果的にこれがバンドの転機となりました。

10月9日、ギターの諸星と、サックスの深沢がそれぞれ下記の理由で脱退。
諸星「ブラックミュージックがしたい」
深沢「アクター(俳優)になりたい」

解散まで続く、以下の4人体制になりました。

ボーカル 氷室狂介
ギター 布袋寅泰
ベース 松井恒松
ドラム 高橋まこと

1983年(昭和58年)

9月25日、『CHANGE COSTUME』と題したライブで演奏した楽曲を中心に収録したアルバム『INSTANT LOVE』リリース。

INSTANT LOVE(1983年)

ダークなイメージの前作からうって変わってカラフルなイメージに。
この路線変更で『BOØWY』にパンクを求めていたファンが離れ、サックス、サイドギターが脱退するも、新たなファンを獲得。
4人編成になって作ったアルバムで、氷室は現在のような歌い方になり、布袋のギターも前面に出されており、『BOØWY』らしさが出たアルバム。

INSTANT LOVE

歌い出し「INSTANT LOVE せめてひととき INSTANT LOVE なぐさめてみて」

アルバムタイトル曲。
サビの「DON't YOU WANT ME DON'T YOU WANT ME WOW WOW WOW NO MELLITE LOVE」が格好良すぎる曲。
中期頃までセットリストに入っていました。

FUNNY-BOY

歌い出しグレイの街にいつか染まってしまい 偽りの愛バラまく事になれすぎて

氷室が19歳の時に作曲、『BOØWY』結成前に声優の水島裕に曲を提供した『光と影』が原曲。

哀愁漂う曲調で、特にギターが格好良い曲。
新宿有線で3週連続1位を獲得。

OH! MY JULLY Part I

歌い出しこんな調子で 頭使う様じゃシマイネ

歌詞が「もっとなめてよ MY JULLY イヤネ今頃じゃ MEMORY」といった若干エロい感じなのですが、『JULLY』は氷室が飼っていたウサギの事でなのす。
メロディアスかつタテノリビートで聴いていて気持ちの良い曲です。

この頃までは印税もほとんどなく、メンバーはバイトやパチンコで生計をたてていました。
特に氷室は英会話教材のセールスでトップの成績を収め、課長にさせられそうになったので辞めた」というエピソードも。

1984年(昭和59年)

10月7日、『東芝EMI』へ移籍。
12月6日、氷室、京都の占い師の助言により『狂介』から『京介』へ改名。

1985年(昭和60年)

2月24日、西ドイツの西ベルリンでアルバム『BOØWY』のレコーディング開始。
6月1日、ファーストシングル『ホンキー・トンキー・クレイジー』リリース。
6月21日、アルバム『BOØWY』リリース。

BOØWY(1985年)

ライブの動員数も増え業界に注目されてきた頃、プロデューサーに佐久間正英を迎えてベルリンでレコーディングされたアルバム。
このアルバムからポップ路線に、音質がガラっと変わります。
アルバム名は再出発という意味をこめてバンド名と同じく『BOØWY』。
そういや『GLAY』も同じようにアルバム『GLAY』を出してましたね。

BABY ACTION

歌い出し「心残りはアイツの事だぜ ピタリきたのは最初で最後サ」

個人的にベスト3に入るくらい好きな曲。
イントロ、Aメロ、サビ、アウトロの転調が気持ちよい曲。
布袋が『トムとジェリー』をイメージして作ったというギターソロは必聴。

BAD FEELING

歌い出し「BAD FEELING オマエの腰つき BAD FEELING オマエの気持ち」

この曲はなんと言ってもイントロのギターリフが印象的かつ難しく、当時若干22、3歳の布袋はやっぱり天才だった、と思わずにいられないです。
特徴的なリフは技術というよりも、布袋の手グセが難しく、なかなかコピーできず。
サビの「OH Yeh! アッパッパーな LADY FEEL SO BAD ABOUT ME! GET OUT GET OUT」の意味が不明だけど格好良い曲です。

CLOUDY HEART

歌い出し「作り笑いが歪む 長い月日が終る 胸にしみるのはイヤネ こりゃ何?」

人気投票1位の哀愁漂う曲です。
初めて聴いた瞬間、胸にガーンと突き刺さるようなメロディが秀逸な曲。
サビのコード進行がたまりません。

8月22日、シングル『BAD FEELING』リリース。
12月24日、渋谷公会堂でのライブ終了後にステージ上で布袋が山下久美子との結婚を発表。

1986年(昭和61年)

2月1日、シングル『わがままジュリエット』リリース。
3月1日、アルバム『JUST A HERO』リリース。

JUST A HERO(1986年)

1985年の大晦日にNHKで放映されたライブ映像で「このバンドは何だ!?」と反響を呼んだことがきっかけで人気が急上昇していく中でリリースされたアルバム。
名盤といっていいでしょう。
全体的に重厚なサウンド。
このアルバムリリース時点ですでにメンバーはバンドの解散を意識していました。

DANCING IN THE PLEASURE LAND

歌い出し「プラスティックのノクターン もてあましてるパッション」

重厚なイントロから始まるアルバムやライブの一発目の曲に ふさわしいミドルテンポの曲。

わがままジュリエット

歌い出し「泣き顔でスマイル すりきれてシャイン 踊るならレイン」

先にシングルとしてリリースされ、初めてPVが作成された曲。
メロディもさることながら、ギターイントロ、ソロ、アウトロどれも素晴らしい。
私の『BOØWY』初体験は、小学4年生の時に観た『夜のヒットスタジオ』でこの曲を演っていた時でした。

BLUE VACATION

歌い出し「気だるいKISSで埋めないで 冷めたMOODに染めないで」

歌詞の内容がセクシーな曲、というよりもダイレクトです。
この曲も構成が素晴らしく、ハマッてしまいます。

7月31日、武道館公演を収録したライブアルバム『“GIGS”JUST A HERO TOUR 1986』を10万枚限定リリース。

9月29日、シングル『B・BLUE』リリース。
11月8日、アルバム『BEAT EMOTION』リリース。

BEAT EMOTION(1986年)

前作から8ヵ月後にリリースされ、僅か18日間のレコーディングで「商業的な成功を収める」ために作成されたアルバム。
当初は、この『BEAT EMOTION』がラストアルバムに想定されていたようです。

B・BLUE

歌い出し「乾いた風にかき消されて 最後の声も聞こえない」

先にシングルとしてリリースされた曲。
イントロが印象的。
曲の構成が格好良く、哀愁漂うロックチューン。
メジャーですが、個人的に一番好きな『BOØWY』の曲。
いまだに車の中でヘビロテで流れています。

BEAT SWEET

歌い出し「HEY BABY 振り向いてくれ オマエの事が欲しいのサ」

ギターリフが印象的なミドルテンポの曲。
ライブでこのイントロが始まると大盛り上がりをみせる、同アルバムに収録されている『ONLY YOU』よりも『BOØWY』らしいLOVEソング。

DOWN TOWN SHUFFLE

歌い出し「遊び上手なジャニスはいつでも 恋にあこがれて恋をする」

CDで聴いた時は正直捨て曲と思いましたが、ライブ映像を観るたびに好きになっていったスルメ曲。

1987年(昭和62年)

4月6日、アルバム『BEAT EMOTION』より、『ONLY YOU』をシングルカット。
7月22日、シングル『MARIONETTE』リリース。
7月31日に神戸、8月7日に横浜で、4時間かけてほぼ全曲を演奏するライブ『CASE OF BOØWY』を開催。

9月5日、アルバム『PSYCHOPATH』リリース。

PSYCHOPATH(1987年)

すでに、メンバー、一部スタッフの中でバンド解散に向けて活動していた中でリリースされたアルバム。
全体的に渋いアルバム収録曲のイメージ、アルバムリリース前に実施された4時間に及ぶほぼ全曲ライブ『CASE OF BOØWY』・・・ファン達の中で「もしかして解散するのでは?」と騒ぎが起き、この年(1987年)の12月24日に解散を発表。

LIAR GIRL

歌い出し「ブラインド越しの空は 紫のベルベット」

アルバム一曲目に収録、かつ、ラストライブツアーでも一曲目に披露されたオープニングにピッタリな曲。
良くも悪くも『BOØWY』らしくないですが、意外と人気のある曲です。

MARIONETTE

歌い出し「もてあましてるFrustration You've got an easy day」

『BOØWY』というだけで、なんでも注目されて売れる事に対して嫌気がさしていた氷室が、「これでも食らえ!」という気持ちで書いた曲。
もちろん売れてオリコン1位を獲得。
PVは『ガイナックス』作成のアニメが使われていて、当時の社長は、愛人騒動で世間を騒がせた岡田斗司夫。

季節が君だけを変える

歌い出し「ガラスの中の退屈な街 踊りつかれた今夜バレリーナ」

ラストシングルで『BOØWY』にとっては珍しい日本語タイトル。
当初氷室が作った詞について、布袋が珍しく「もっと俺達の深い部分を書いて」と注文をつけて氷室が歌詞を作り直した経緯がある曲。

10月26日、アルバム『PSYCHOPATH』より、『季節が君だけを変える』をシングルカット。
12月24日、人気絶頂の最中の渋谷公会堂でのライブ中に解散を宣言。

12月25日、新聞各紙の広告スペースに解散メッセージを掲載。

『BOØWY』解散メッセージ

1988年(昭和63年)

4月4日、5日、東京ドームで『LAST GIGS』を開催。
※メンバー曰く、解散は前年12月24日なので『LAST GIGS』は同窓会のような位置づけ。
『LAST GIGS』のチケット(9万枚超)は10分で完売。
予約の電話が殺到した文京区の電話回線はパンク。
5月3日、アルバム『LAST GIGS』リリース。

12月24日、アルバム『SINGLES』リリース。

まとめ

一番最近(2013年)に発売されたベスト版『BOØWY THE BEST "STORY』がオリコン1位を獲得するなど、まだまだ根強い人気の『BOØWY』。
人気の理由は、楽曲が良く捨て曲がほとんどない、からでしょう。
90年代のトップを走った氷室京介と布袋寅泰という2人が作詞作曲をしていたのだから当然と言えば当然かもしれませんが。
とりあえず今回は各オリジナルアルバムから苦渋の選択で三曲ずつ選んでみました。
「『BOØWY』なんて歌謡ロックじゃん」なんて言わずに一度聴いてみたら、意外とハマるかもしれませんよ。