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【真っ赤なウソ】偽装された坂本龍馬ゆかりの旅籠『寺田屋』

寺田屋

By Tamago915 - Photographed by Tamago915, CC 表示-継承 3.0, Link

幕末の『寺田屋事件』で有名な京都にある観光名所『寺田屋』。
坂本龍馬ゆかりの史跡で当時のままの状態で保存されており、柱などについている刀痕や弾痕が生々しい人気のスポットですが、実は偽装観光スポットって知っていましたか?
数年前にニュースになったので知っている人は多いと思いますが、SNSなどを見るとホンモノと信じて疑わない人がまだまだたくさんいますので、ここで注意喚起しておきます。

『寺田屋事件』とは

幕末に『寺田屋』で発生した有名な『寺田屋事件』と呼ばれる事件は2件ありました。

薩摩藩士同士討ち事件

薩摩藩の尊皇派が薩摩藩指導者である島津久光によって鎮撫された事件。
詳しくはこの記事をご覧下さい。

坂本龍馬襲撃事件

慶応2年(1866年)1月23日、坂本龍馬と三吉慎蔵が寺田屋で会談中に事件は起こります。

楢崎龍
(ん?外が騒がしいねぇ・・・。 捕り方が宿を包囲している!龍馬に知らせないと!)

入浴中だったお龍(おりょう)は全裸で階段を駆け上がって、龍馬達がいる部屋のふすまを開けました。

楢崎龍
龍馬!
坂本龍馬
(全裸!!!)なんじゃなんじゃ!?
楢崎龍
捕り方が外に!逃げて!

龍馬は高杉晋作から上海みやげに貰った拳銃で、三吉は手槍で応戦して捕り方2人を射殺して負傷しながらも何とか逃げる・・・、という実話なのですが、特に入浴中のお龍が全裸で龍馬に危険を知らせる、という場面が有名で、実際お龍が入浴していた風呂が現存している、というのが『寺田屋』の売りの一つです。

今の『寺田屋』は明治になって建てられた

さて、『寺田屋』ですが、実は1868年(慶応4年)の「『鳥羽・伏見の戦い』で焼けちゃったんじゃないの?」とずっと言われていました。
その理由はいくつかありますが、ここでは代表的な3つの理由を述べます。

理由その1

『鳥羽・伏見の戦い』の戦火状況を伝えた当時の瓦版(今でいう新聞)に、戦火にあった範囲を赤く塗りつぶした記事があるのですが、そこに『寺田屋』が思いっきり含まれています。

理由その2

今の『寺田屋』の建物の横にある空き地に、1894年(明治27年)に建てられた『薩藩九烈士遺蹟表』という大きな碑があります(『薩摩藩士同士討ち事件』の碑です)。
そこに書かれている碑文に「寺田屋遺址」という文が書かれているのですが、意味は「寺田屋が建っていた跡」なんです。

昔、建物や城などの建っていたあと。遺跡。
出典:遺址(イシ)とは - コトバンク

理由その3

現在の『寺田屋』と呼ばれる建物の登記は1905年(明治38年)。

現在の寺田屋の建物は明治38年(1905年)に登記
出典:寺田屋事件 - Wikipedia

という事で、この事実を知ったゴシップ記事を得意とする週刊誌が騒ぎ立てます。
「この寺田屋はニセモノでは?」と。
その後、京都市が調査したとこと結論が出ました。
「元の寺田屋は戦火で消失して、今の寺田屋と呼ばれる建物は幕末当時のものではない」と。
調査結果を受けて、『京都市産業観光局』が運営している京都観光Naviの『寺田屋』の説明は以下のように変更されました。

寺田屋は鳥羽伏見の戦(1868年)に罹災し、焼失した。現在の建物はその後再建されたものである。
出典:京都観光オフィシャルサイト 京都観光Navi

元々の『寺田屋』は現在碑がある場所に建っていたが焼失、現在の『寺田屋』と呼ばれる建物は元々の場所の隣に建っているのです。

 

第14代寺田屋伊助

さて、幕末当時の建物ではない事が確定している『寺田屋』。
この建物を幕末当時のままの『寺田屋』と偽った張本人が第14代寺田屋伊助です。
ちなみに、幕末当時の『寺田屋』の主人とは血の繋がりのない赤の他人。

1962年(昭和37年)に司馬遼太郎が新聞に『竜馬がゆく』の連載を始めます。
同じ時期、第14代寺田屋伊助がこの建物を買い取り、『寺田屋』という旅館の経営を始めました。
狙っていたのでしょう。
1968年(昭和43年)に『竜馬がゆく』が大河ドラマになって、観光客がどっと増えた事は容易に想像できます。

わざとつけた刀痕と弾痕

当時の『寺田屋』は戦火で完全に焼失している、という事はわかりました。
「じゃあ、あの刀痕や弾痕は?お龍が入っていた風呂は?」・・・そうなりますよね。

Twitter上でも『寺田屋』に興奮している方をちらほら見かけますが、残念ながら『寺田屋』自体焼失しているのですから、当然、刀痕、弾痕、お風呂、全て当時のモノではありません。
ちなみに、風呂が設置されている場所は、1908年(明治41年)に増築登記されています。

あの有名詐欺写真も飾っている

ここで、以前私が寺田屋に行った時のエピソードを(この時はホンモノだと信じていました)。

まえけん
当時の刀痕、弾痕がそのまま残っている!凄い!
中年夫婦
おい見てみい!龍馬や西郷隆盛、高杉晋作やらの集合写真があるで!こりゃ凄い!
まえけん
(ん?それは昔の学生の集合写真・・・)

明治初頭の学生の集合写真を、幕末の志士の集合写真と偽って販売している業者がいるのですが、『寺田屋』はその写真をデカデカと1階に飾っているのです。
この集合写真の詳細については、下の記事をどうぞ。

まえけん
(胡散臭い写真を飾るとは。受付のおばちゃんに言おう。)おばちゃん、あんな詐欺写真飾ってたら『寺田屋』の価値が下がるよ。
受付のおばちゃん
ワタシウケツケナノデワカラナイ。

 少し歴史を知っている人ならニセモノだとわかる集合写真を、幕末の史跡の中でもトップクラスに入る『寺田屋』が、志士達の集合写真と信じて飾ってしまっているってどうよ・・・と、当時は思いました。
後に『寺田屋』はニセモノである、というニュースを見て「あの詐欺写真を飾るくらいだし、やっぱりな」と妙に納得してしまったことを憶えています。

まとめ

このように、『寺田屋』は幕末当時の雰囲気を体感できるテーマパークなんです。
これはこれでいいのですが、許せないのは幕末当時の『寺田屋』ではない、という説明を大々的にしていない事なんですよね。
単に龍馬の知名度を利用して金儲けに走っているだけなんです。

観光客の大半はホンモノの史跡と信じているでしょうから、ちゃんと目立つように「ここは幕末当時の雰囲気を再現した建物」と説明してほしいです。