「日本の首都はどこでしょう?」と質問すると、ほぼ全国民が「東京」と回答するでしょう。
当たり前すぎますよね。
しかし、日本の首都が東京である、という根拠はどこにもないのです。
「何を言っているんだ?」と思った方はこの記事を読んでみて下さい。
日本の首都の歴史
歴史上、長らく都(首都)=天皇の居住地でした。
平城京、平安京など、近畿圏を中心に数年単位で都は頻繁に変わりました。
これを遷都(せんと)と言い、天皇が宣言します。
遷都の理由は、建物の耐用年数、疫病の流行、政治的な思惑、などなど。
源頼朝が鎌倉幕府を開いた時、政治的中心地は鎌倉に移りました。
しかし、当時の庶民に「都はどこ?」と聞くと「京に決まっているやないか」と返答されるほど、名目上の都(首都)は京都(平安京)でした。
秀吉は大坂、家康は江戸に政治的中心地を設けますが、そこに都を移すという事はせず、都はずっと京都(平安京)のままでした。
江戸時代、「都は江戸!」なんて答える人は皆無だったでしょう。
中央政府がおかれている場所が首都じゃないの?
中央政府がおかれているところを首都としている国もあれば、国のシンボル的な都市(国王の居住地など)を首都としている国もあります。
また、オランダや南アフリカのように複数の首都がある国もあります。
「天皇さんが京を離れる!」と大騒ぎ
幕府を倒し、明治維新を成し遂げた薩摩藩の大久保利通(としみち)は大坂(大阪)への遷都を主張します。
天皇親政(天皇自身が政治を行う事)を実現するために、大久保が提出した『大坂遷都建白書』に保守派は猛反対します。
そんな中、前島密(ひそか)という人物が「大坂ではなく江戸の方が都にふさわしい」といくつかの理由をあげて江戸への遷都を建白します。
前島密は『郵便制度の父』と呼ばれる1円切手の人です。
大久保はこの建白書に賛成し、江戸(東京へ改称)への遷都に向けて動き出します。
しかし、保守派に配慮し、遷都ではなく奠都(てんと)、つまり、「京都と東京は並立して首都ですよ」と宣言するわけです。
遷都 | 従来の都を廃止して新都へ移す |
奠都 | 従来の都と新都は並立 |
ちなみに明治天皇は「ちょっと東京へ行ってくる」と言って京都を出たと言われています。
これは『東京行幸』といわれ、行幸とは天皇が外出する事を意味します。
当然、京都の人も「天皇さんはしばらくしたら京都に戻ってくる」と思っていました。
首都が東京と定められている法律はない
まず、日本は法治国家です。
国家におけるすべての決定や判断は、国家が定めた法律に基づいて行うとされる。
という事で、当然首都も法律に明記されていなければならない筈ですが、現在施行されている法律には首都についての記載がないのです。
1950年(昭和25年)に施行された『首都建設法』には「首都は東京」と明記されていました。
首都建設法(しゅとけんせつほう、昭和25年法律第219号)は、東京都を日本の首都として都市計画し、建設することを定めた日本の法律である。
しかし、 1956年(昭和31年)に『首都圏整備法』という法律の制定にともない廃止されました。
『首都圏整備法』は現在施行中の法律ですが、ここには「東京が首都である」という事は一切明記されていません。
まとめ
このように首都について明確に記載されている現行法はない事から、「日本の首都は1000年以上前からずっと京都だ!」という主張が出てくるわけです。
ただ、法律上の問題はありますが、事実上の日本の首都は東京と考えていいでしょう。
(学校のテストで「日本の首都は?」という問いに東京以外を書くと不正解になります。)
最後に、『高御座(たかみくら)』という天皇が使う玉座があります。
歴史上、遷都のたびに高御座も新都に移動していました。
しかし、現在、高御座は京都御所内にあります。
これは、「東京はあくまで代理な首都である」事を意味しているのでしょうか?