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【今さら聞けない】日本とアメリカが戦った『太平洋戦争』の原因をわかりやすく説明するよ

武蔵

学生時代、私は太平洋戦争は日本が侵略戦争したから起こった」という教育を受けましたが、大人になってから本当にそんな単純な理由だったのか?と疑問に思いつつも、面倒なので史実を調べようとはしませんでした。
しかし、最近小学生の息子に「なんで日本はアメリカと戦争したの?」と質問され、勉強不足だった私はうまく回答できず、「今度、息子にちゃんと説明しよう」という事で内容の整理をかねてアウトプットしました。
同じように、アメリカと戦争した理由がいまいちわかっていない人はご一読いただければと思います。

帝国主義にならざるをえなかった日本

幕末、世界は帝国主義真っ只中。
当時の国は「植民地になる」「侵略者に立ち向かい独立を死守する」の2つの道しかなかったのです。
当時の日本は鎖国状態。
周辺のアジアの国が次々に欧米諸国の植民地となっていきました。
欧米諸国に比べて遅れていた日本ももちろん植民地のターゲット。
特に、アメリカ、イギリス、ロシアが日本にとっての脅威でした。

アメリカ合衆国

幕末、ペリーが黒船に乗って日本にやって来て脅しをかけます。

ペリー
船の燃料補給地として、港を開放して下さいね~。

 

アメリカは東アジア、特に清(中国)との貿易をしていたのですが、その中継地として日本は位置的にうってつけ、ということもあり、「下田と箱館の港を開きましょう」という事で『日米和親条約』が結ばれました。
その4年後、1858年(安政5年)に『日米修好通商条約』という不平等条約が結ばれました。
じわりじわりと日本を侵略していくかにみえましたが、アメリカは自国で『南北戦争(1861~1865年)が起こってしまったので、そこにかかりきりになり外国に目を向ける余裕がなくなってしまったのです。

イギリス帝国

地球上の陸地の20%以上の面積を植民地化していた大国イギリスも当然日本を狙っていました。
しかし、1857年(安政4年)に植民地のインドで起こった『セポイの乱や、同時期に清で起こった『アロー戦争~『太平天国の乱の鎮圧で兵力、資金、時間を消耗してしまいます。
また、1863年(文久3年)に薩摩藩との間で起こった『薩英戦争「え!?日本って意外と強いんだ。やるじゃないか」とイギリスに思わせるわけです。

そして、日本の武士の存在が脅威であること、地理的に派兵が難しい、などの理由で植民地化ではなく、薩摩藩を裏から支援し、幕府を倒させて傀儡政権を作ろうと目論んでいたふしがあります。
しかし、薩摩藩はイギリスとうまく距離をとり、明治維新後も独立した政権を運営しました。

ロシア帝国

ロシアは歴史的にずっと南下政策(南方にある土地を獲得)をとっています。
理由は「凍らない港が欲しい」、コレだけです。
四方を海に囲まれた日本は、もし、ロシアの軍隊が朝鮮半島から船で日本へ侵攻、という事態になれば、当時は飛行機やレーダーがないので、日本のどこから侵入されるかの確認が非常に困難でした。
そのため、日本としてはロシアを朝鮮半島で食い止める必要がありました。
本来であれば、日本、清、朝鮮が協力して立ち向かえばよかったのですが、この2国は国を近代化させる事に消極的だったのです。
いずれ、ロシアと衝突する事がわかっていましたので、日本は清、朝鮮との協力を諦め、欧米と同じく国力増強のために植民地を獲得して国の力を増強させる帝国主義を採りました。

日清・日露戦争

日本はロシアの南下政策を朝鮮半島で食い止めたい、清(中国)はもっと朝鮮への影響力を強めたい(植民地化)したい、という事で衝突、1894年(明治27年)『日清戦争』が勃発。
日本は勝利し、清から割譲された土地の一つに『遼東半島』がありました。

遼東半島
By LERK - modified Image:Changchun dot.png, CC 表示-継承 3.0, Link

中国東北部(満州)を支配していたロシアは、日本が遼東半島を支配していると、朝鮮半島進出に邪魔」、そして、日本をこれ以上調子づかせないために、ということで、ロシアは、ドイツ、フランスを誘って日本にこう言いました(『三国干渉』)。

ジャイアン
割譲された『遼東半島』を清に返せ!

ジャイアンロシアの言うとおりにするしかなかったのです。
しかし、その後なんとロシアは『遼東半島』の一部を租借するのです。
これはたまったものじゃありません。
この時、『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)』という言葉が流行します。
意味は「復讐のために耐え忍ぶこと」
「この恨みは忘れない、いつかロシアをやっつけてやる」と。

その後、ロシアはジリジリと朝鮮半島に南下してくる気配をみせます。

日本としてはこのまま朝鮮半島に侵攻されると防衛上非常にマズい、ということでロシアと交渉するも決裂、1904年(明治37年)『日露戦争』が勃発します。
『日英同盟』によるイギリス、戦争当初から「日本を全面支持する」と宣言していたアメリカ、それぞれの協力もあって、何とかロシアに勝利しました。

日本は名実ともに大国の仲間入りを果たしますが、欧米諸国はメキメキと力をつけてきた日本を脅威に感じてくるのです。

 

満州をめぐってアメリカとぎくしゃく

『日露戦争』に勝利したことで日本は韓国や満州(中国東北部)を手中に収めます。
そして、欧米各国からも韓国支配のお墨付きをもらいます。

ウィリアム・タフト
日本は韓国(朝鮮半島) を支配して下さい。そのかわり、アメリカの植民地であるフィリピンに野心をもたないでくださいね。
桂太郎
もちろんです。

桂太郎内閣総理大臣と、来日したウィリアム・タフト陸軍長官との間でこのような密約が交わされました(『桂・タフト協定』)。
同じような約束事は、イギリス、フランスとの間でも交わされました。

イギリス国旗
日本は朝鮮半島を支配する、イギリスはインドを支配することをお互い容認しましょう。
フランス国旗
フランスはベトナムを支配します。日本は朝鮮半島を支配して下さい。

このように、韓国を放置すると、また東アジアが混乱する。韓国は日本が保護すべきだ」という意見は、当時の国際社会では常識でしたので、欧米各国は軒並み賛成しました。

さて、日本は満州の権益を独占したい、と思うようになります。
『日清戦争』、『日露戦争』で多大な犠牲のうえに獲得したのですから、独り占めしたい、と考えるのは当然といえば当然ですよね。

しかし、アメリカも中国という巨大市場で一儲けしたい、とずっと思っています。
元々、アメリカが幕末に日本を開港させた理由の一つに、中国と貿易するための中継地として利用したいから、というのがありました。

日本は『日露戦争』に勝利したことで、ロシアが経営していた『南満州鉄道』の利権を得ますが、戦争で国家財政は逼迫していましたので余裕がありません。
そこに、アメリカの鉄道王エドワード・ヘンリー・ハリマンが現れます。

エドワード・ヘンリー・ハリマン
1億円出しますから、『南満州鉄道』を共同経営しませんか?
桂太郎
もちろん。やりましょう!

「お金の面で助かるし、再びロシアが満州に攻めてくるかもしれない。アメリカと友好を保っておけば抑止力になるかもしれない」と言う事で、満鉄の共同経営の提案を桂太郎首相は快諾します(『桂・ハリマン協定』)。
しかし、『ポーツマス条約』(『日露戦争』の講和条約)の締結を終えて帰国した小村寿太郎(じゅたろう)外務大臣がこの話を聞いて猛反対します。

小村寿太郎
満州は日本だけが支配すべきです!

結局、小村に押し切られ、共同経営はドタキャンします。
この出来事が、アメリカの対日感情を悪化させ、後の日米戦争の一因になったのでは、という論があります。

日本の火事場泥棒

1914年(大正3年)に『第一次世界大戦』が起こり、欧州各国は戦争(欧州方面)に集中するため、アジアにかまっていられなくなります。
そこで、日本はチャンス!」とばかりに、中国での権益を拡大しようと『対華21か条要求』を中国側に提出します。

これに、イギリスは不快感を露にします。

イギリス国旗
イギリスがもっている中国の権益を日本に奪われやしないか?
イギリス国旗
『日英同盟』にのっとって、日本に陸軍の応援を依頼したのに断ってきやがった。逆にアメリカは第一次世界大戦に参戦してくれたし、お金も貸してくれた。『日英同盟』はやめてアメリカと手を組んだほうが良さそうだな。白人同士だし。

アメリカは『日英同盟』をやっかんでいて、何とか破棄させたい、と考えていました。イギリスに対してお金を貸していたアメリカは、イギリスに負けられるとお金を回収できなくなるので困る・・・という事で参戦してイギリスを援護、大きな貸しを作りました。
そんな状況で、アメリカからアメリカと日本、どちらを選ぶんだ」と凄まれたら、『日英同盟』を解消、アメリカと手を組む、という事になるのは必然でした。 

 

日中戦争と第二次世界大戦

1929年(昭和4年)に『世界大恐慌』が発生します。
植民地を持っている国は自国を守るため『ブロック経済』を展開します。
『ブロック経済』とは、例えばイギリスだとアフリカ、インド、オーストラリアといった植民地で『経済ブロック』という勢力圏を設定し、その勢力圏以外からの輸入品に莫大な関税をかけて、実質他国からの製品をしめ出す、という政策です。

関税(かんぜい)は、国内産業の保護を目的として又は財政上の理由から、輸入貨物に対して課される税金
出典:関税 - Wikipedia

『第二次世界大戦』で勝利した『連合国』側は、上記のイギリスの他に、アメリカは南北アメリカ大陸を勢力圏、フランスはベトナムやアフリカなどを勢力圏にして、自国や植民地で石油といった資源を賄う事ができました。

経済ブロック
出典:「韓国人国連事務総長誕生」という可能性 [社会ニュース] All About

一方、負けた『枢軸国』側は自国で資源を賄えない国でした。

ドイツ第一次世界大戦の賠償金をやっと払い終える」と思ったところで世界大恐慌が発生。
自国だけではどうしようもないので、『経済ブロック』拡大のため中央、東ヨーロッパへ侵攻

イタリア「植民地を持ってないし、資源もない・・・」
『経済ブロック』拡大のためエチオピアへ侵攻。

日本「生糸を輸出しよう!」「関税高すぎて輸出できない・・・」
『経済ブロック』拡大のため中国へ侵攻。

と、他国を侵攻して資源を確保するか、何もせずに餓死するのを待つか、どちらかの選択しかなかったのです。

日中戦争

中国は『清』時代に日本と結んだ不平等な条約などの破棄を一方的に宣言する国権回復運動が盛んになっていました。
この運動は、強制的に日本人を住居から立ち退かせる、日本人に土地を貸さない、売らない、日本企業の締め出し、といった排日運動に繋がり、日本政府は外務省を通じて中国政府と事態の解決に向けて交渉しようとしましたが、一向に進展しませんでした。

また、日本は『日露戦争』後、『南満州鉄道』を手中におさめていましたが、中国は新たに鉄道路線を作り経営競争を仕掛けてきました。
安価な中国側の路線に客を奪われ、満鉄は社員3000人を解雇するなど、経営的に打撃を受けました。
満州駐在の関東軍はこういった状況からある作戦を決行します。

1931年(昭和6年)9月18日、何者かによって『南満州鉄道』の線路が爆破されました。
関東軍は「中国の仕業だ!」として、満州全域を占領します。
しかし、実際は関東軍の自作自演・・・。
翌年には『満州国』が建国され、トップに清の最後の皇帝『溥儀(ふぎ)』が就きますが、実際は日本が動かしている傀儡政権です。

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もちろん、中国は「満鉄爆破は日本の自作自演だ!」と『国際連盟』に訴え、派遣された『リットン調査団』が真実を暴きだします。
窮地に立たされた日本は『国際連盟』から脱退。

『国際連盟』脱退

1937年(昭和12年)7月、『盧溝橋事件』等の衝突から『日中戦争』勃発。
日中戦争の激化、長期化で通常の経済状態では戦費を賄えなくなる恐れのあった日本は、翌年『国家総動員法』を制定します。

総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。
出典:国家総動員法 - Wikipedia

この法律によって、いわゆる赤紙が来れば、兵隊として戦争に行かなくてはいけなくなってしまったのです。 

そして、1939年(昭和14年)にヨーロッパで『第二次世界大戦』が勃発します。

 

太平洋戦争

『第二次世界大戦』当初、ドイツは連戦連勝し、海を隔てたイギリスにも攻撃をしかけます。
イギリスのチャーチル首相はアメリカのルーズベルト大統領に助けを求めます。

ウィンストン・チャーチル
第一次世界大戦に続いて、また助けて~!
フランクリン・ルーズベルト
アメリカ人の故郷、ヨーロッパをドイツが荒らしているのは見過ごせない。それに、ユダヤ人が我が国で力つけてきている以上、ドイツのユダヤ人虐殺も見過ごせない。
フランクリン・ルーズベルト
ただ、国民を戦場に送らないことを選挙公約にしているからなぁ・・・。 そうだ!日本を挑発して先制攻撃させて、同盟国のドイツを参戦させよう!

そんな中、1940年(昭和15年)に日本がフランス領インドシナへ進駐。
アメリカが植民地にしていたフィリピンとインドシナは近く、このままでは植民地が危ない!日本を止めねば!」とアメリカは考えます。
また、「日本はインドシナを拠点に、イギリスがアジアで持っている植民地を奪い取ろうとしているんじゃないか?」と世界から受け止められ、イギリスを全面バックアップしているアメリカは激怒、日本への石油輸出をストップし、アメリカにある日本の資産を凍結。
1~2年で備蓄している石油が無くなる状態となった日本に、アメリカは最後通牒として無理難題な『ハル・ノート』を突きつけます。

そこには中国から撤退するよう書かれていましたが、『日清戦争』、『日露戦争』で多大な犠牲とお金と時間を使って獲得した中国からの撤退は、日本としては当然ありえません。
石油が無くなって工場が停止して何千万人も餓死させるのか?
それとも、自衛のために戦争するのか?
日本は後者を選択、真珠湾を攻撃しました。

という事で、英米の思惑どおりに日本に先制攻撃させて日米開戦(『太平洋戦争』)、同盟国ドイツもアメリカに宣戦布告しました。

チャーチルは日米開戦の知らせを受け勝利を確信し喜んだ。
出典:ハル・ノート - Wikipedia

まとめ

『太平洋戦争』の原因は、日本の侵略にアメリカが裁きの鉄槌を下した、という事を簡単に言う大人がいまだにいますが、実際はこのようにそれぞれの思惑があったのです。
確かに、中国や朝鮮の人にとっては日本は侵略者でした。
しかし、欧米各国も同じようにアジア諸国を侵略していました。
※当時、アジアで独立国だったのは日本とタイだけでした。

多くの植民地を取って国力を増強しないと逆に植民地にされる、それが帝国主義時代でした。

アメリカにいたっては、アラスカ、ハワイ、フィリピン、グァムといった太平洋側の領土を持っていましたが、急速に力をつけた日本海軍を脅威に感じ、いつでも日本と戦争できるように『オレンジ計画』を作成していました。

オレンジ計画(オレンジけいかく、オレンジプラン、War Plan Orange)とは、戦間期(1920年代から1930年代)において立案された、起こり得る大日本帝国(日本)との戦争へ対処するためのアメリカ海軍の戦争計画である。
出典:オレンジ計画 - Wikipedia

「本当に日本だけが悪かったのか?そんな単純な話なのか?」ぜひ考えていただければと思います。