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【高校野球】1942年に開催された『夏の甲子園大会』の特別ルールがひどい

1942年甲子園大会

毎年開催される高校野球、新型コロナウイルスの影響で中止になったこともありましたが、太平洋戦争中の数年間も中止になっていました。
しかし、中止期間中の1942年(昭和17年)に今では幻の大会と呼ばれる大会が実施されていたのをご存じでしょうか。
軍主導で開催されたこの大会、今では考えられない何とも理不尽な特別ルールで開催されていました。

戦争が理由で中止

幻の大会の前年、1941年(昭和16年)に主催の朝日新聞社は例年通りに8月に大会(当時は中等学校野球大会)を実施する、と発表。
しかし、大会開催前月の7月、突然国が大会を中止するよう通達します。
中止の理由は、「日中戦争が激しくなってきたし、戦争に勝つために国内の鉄道を物資や兵の輸送にフル稼働させるから、一般人は長距離移動で使うな。全国の球児を甲子園に輸送する余裕がない」と。
大会に向けて一所懸命に練習していた球児達は落胆したでしょう。

戦争が理由で開催

翌年の1942年(昭和17年)の大会も中止かと思いきや、一転、開催が通達されます。
しかし、主催は朝日新聞ではなく国(文部省)。
従来の『全国中等学校野球優勝大会』(今の『全国高校野球選手権大会』の前身)ではなく、『全国中等学校錬成野球大会』として開催されました。
前年の12月8日に、日本は真珠湾を攻撃してアメリカと戦争状態(太平洋戦争)にあり、戦意高揚を目的として開催されました。

前年は戦争が理由で中止したのに、翌年は戦争を理由に開催。
その時の球児達の気持ちはわかりませんが、どういう理由であれ野球ができる喜びはあったでしょう。
しかし、おそらく球児達も想定していなかったであろう、国(=軍)主導の大会はとんでもない特別ルールが適用された大会だったのです。

 

理不尽な特別ルール

選手交代は認めない

軍人
ケガくらいなんだ!最後まで死力を尽くせ!

 

バッターは投球を避けてはいけない

軍人
ボールを避けるなんて突撃精神に反する事は許さんぞ!

 

投球が命中しても死球にならない

軍人
銃弾じゃあるまいし球に当たったくらいじゃ死にやせん!

 

エラーをすると軍人が殴りかかってくる

軍人
そのちょっとしたミスが戦場では命とりだ!

 

優勝しても記録に残らない

軍人
いつもの大会とは別物なので公式記録に残らないんだ。スマンな・・・。

敵性スポーツなのになぜ続いたのか

野球は言わずと知れたアメリカ発祥のスポーツ。
戦時中は敵性スポーツとして中止されていたわけではないですが、周りからは「敵のスポーツに興じるなんて非国民だ」と思われていたはず。

看板から米英色を抹殺しよう

しかし、プロ野球(職業野球)に至っては、敗戦前年まで普通に公式戦が開催されていました。
しかし、敵性語を使ってはいけない、という事で、ボールを悪球、ストライクをよし1本ファウルを圏外、セーフを安全、などとコールしていました。
そこまでして野球が続けられたのは、今も昔も単純に人気があったからで、軍部から「敵性スポーツはやめろ!」と圧力があった時も「野球は心身を鍛錬する要素がある、武道ですよ」となだめ、何とか野球の火を消さずに済んだのです。

まとめ

幻の甲子園大会は徳島商業がサヨナラ勝ちで優勝(非公式記録)。
決勝の観衆はなんと4万人。
前年、「鉄道は戦争のための輸送で使う」という理由で大会が中止されたのに、結果的に4万人もの人が甲子園に移動したわけです。
実は、この年の6月、大会の2ヶ月前に日本軍はミッドウェー海戦で大敗しており、大会開催中にガタルカナル島で大敗します。
もちろん国民には大敗は秘匿されていました。
国民の目をそらす、戦意をさらに高揚させる、という目的で、そして、理不尽な特別ルールを受け入れたのは野球を何とか存続させたいという気持ちもあったのか、非常に戦時色の濃い甲子園大会なのでした。